夢ならいつまでも2人きりなのに

好きなものを好きなだけ

生執事と2.5次元

こちらのブログをめっちゃ頷きながら読ませていただきました。

haaaaapy2234.hatenablog.com

 

私は雄大くんのファンなので贔屓目もあるかなと思っていたのですが、これを読んでやっぱり生執事ってすごいんだなと思いました。折角なので、生執事を見た当時に感じたことをここに残しておこうと思います。

 

 

 

私には2.5次元を中心に活躍している推しがいます。「元」推しと言ってしまったら私の中で何かが終わる気がしてずっと推しと言い続けているのですが、実質「以前熱心に応援していた人」にあたる人です。

  

生執事の前、推しの出演する2.5次元作品がありました。

当時の私は推しの現場は全通が当たり前、お金も時間も労力も推しが最優先で、その作品も当たり前のように全通していました。でも私は、最後までその作品がどーーーーしても好きになれませんでした。好きになれないを通り越して最早嫌いだった。

演出も脚本も舞台装置も運営も、本当に何もかもが合わない。推しはこんなにボロボロになりながら(もっと言うなら演出家にボロボロにされながら)頑張ってるのに、脚本演出が根本的におもしろくない。推しが作ったものをおもしろいと思えないことが辛くて私のメンタルもボロボロ。ついでに前方席が寒すぎて体調もボロボロ。上手いとか下手とか良いとか悪いとかでなく、初めて、ただただシンプルに作品が嫌いだと思いました。

お金を出して舞台を見に行ってるはずなのに私はなんでこんなに辛い思いをしてるんだろう。疲れ果てて、もう家から全然出たくなくて、生執事を含む手元のチケットを手放そうかと思った時期もありました。

結局、なんとか気持ちを切り替えて生執事を見に行きました。

 

私が生執事を見て思ったのは、「2.5次元でもここまでできるのか」でした。

もう楽しくて楽しくて、すごい!とか最高!しか言えない語彙力のないオタクに成り下がっていました。

演出も脚本も舞台装置も役者の技術も本当にレベルが高くて、2.5次元らしさとミュージカル作品としてのバランスも良く、満足度が半端じゃなかった。前の作品で疲れ果てていた反動で余計に素晴らしく見えた部分もあったかもしれないけれど、2.5次元でもこんなものが見られるのか!と感動したのを覚えています。

 

 

そしてこの喜びの裏にあったのは、「この間まで見ていたあの作品とこれが同じ2.5次元なのか」という絶望でした。

 

 

私は普段から東宝2.5次元も同じくらい見ます。(東宝とか梅芸とか言い出すと面倒なので、主に日比谷あたりでやってそうなやつを東宝でまとめる。)それは雄大くんと推しがそれぞれに出ていることもあるし、そもそも根が2次オタなので原作が好きで2.5次元を見ることもあります。

東宝東宝2.5次元2.5次元と、それぞれを別のジャンルとして頭を切り替えて最大限楽しんできました。それぞれに良さがあるし、同じものを求めるものではない。そうやって自分の目的や期待値というものをいわばコントロールして観劇をしていました。

 

でも今回は違う。どちらも同じ2.5次元なのにこんなにも違うのか。

ショックでした。2.5次元を下に見る人が好きじゃない、そんなに東宝がいいなら東宝だけ見てればいい、どちらもそれぞれ楽しみ方がある。そんなふうに思ってきたけれど、その考え自体がそもそも2.5次元を下に見ていることに他ならないのかもしれません。2.5次元だってこれだけのものが作れるのに、頼まれてもいないのに「2.5次元だからこのくらいだろう」と勝手に期待値を下げていたのは私自身なんだ。(あの作品はその期待値を更に下回って(というかおかしな方向に裏切って)きたわけだけど)

なんだか小難しいことを言ったけれど、結局は単純に「あれとこれほとんど同じチケット代なんだよな…」と思ったら悲しくなりました。どうして推しはこっちに出てないんだろう。そもそも今時の2.5次元のチケット代は帝劇のA席と変わらないんですけどね。そこには何故か目を瞑ってきたのに、同じ2.5次元という土俵に立った瞬間現実を突きつけられたような気持になりました。そりゃ予算とかもあるだろうけど、そんなの客が勝手に察して勝手に期待値を下げてあげるものじゃない。あれとこれ、何が違うんだろう。羨ましい。こっちに出ている推しが見たい。

 

 

 2.5次元の定義は原作がアニメや漫画であることですが、時折「2.5次元舞台によく出てそうな若手俳優がいっぱい出てくるイケメン舞台」というニュアンスを含むことがあります。そんな時の"2.5次元"には、どこかチープな響きが内包されているように感じます。王家の紋章やデスミュが"2.5次元"と言われてしっくりこない人は、きっとこのニュアンスを感じているのではないでしょうか。

そんな"2.5次元"のことを、どこかの演出家が「かぶりもの」と表現していたけれど、2.5次元を「かぶりもの」レベルに貶めているのが演出家の力量のせいだとは考えないんだろうか。少なくとも私は生執事をかぶりものとは思いませんでした。

 

私は推し2.5次元から卒業してほしいと思ったことはありませんでした。

出演作品が2.5次元であること、正確に言えば、原作がアニメや漫画であること自体は特に不満はありません。でも、"2.5次元"であるということを言い訳に何かを妥協しているような、何かが足りなくてもなんとなく許されているような、そんな作品からは早く卒業してほしいなと思いました。

 

 

 

2.5次元舞台が乱立するようになったことで、オタクの目はどんどん肥えているように感じます。だからこそ、"2.5次元"であることに甘えないような、ひとつの舞台作品として素晴らしいと思えるような作品に出て欲しい。推し自身も"2.5次元"であることに甘えない人でいて欲しい。

もしいつか"2.5次元"の誤魔化しがきかなくなったとき、生き残る作品に出られる推しでいて欲しいと思います。