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舞台「孤島の鬼-咲きにほふ花は炎のやうに-」感想

孤島の鬼-咲きにほふ花は炎のやうに-を見てきました。2015年版の感想はこちら

2015年版の「孤島の鬼」は私にとってとてもとても思い入れのある作品です。発表されたその日に小説を買って帰り、最速先行で全公演のチケットを取って、出演者が旧江戸川乱歩邸に取材に行ったと聞けば自分も出向き、凍えながらラジオの公開放送を見て、毎日作品に合わせて封筒を手作りして手紙を書いて……。

そうして2年弱たった2017年、またこの作品を見に赤坂レッドシアターに行ったわけですが、道沿いにあったマクドナルドがなくなっていてびっくりしました

 

やっぱり今回も、思わず息を止めて食い入るように見つめてしまうこの空気は変わらずでした。やっぱりいいなあ。終わった瞬間どっと疲れがきて、暫く手が震えていました。

でも、先に言うと、私はやはり前作が好きです。あまりにも大切な記憶で、こればかりはどうしようも無いのです。DVDなんて一度か二度見ただけなのに、今でもかなりの台詞を諳んじて言えるくらい記憶に刷り込まれているので、どうしても比較という形になってしまいます。それでも良いという方だけこの先を読んでいだければと思います。

 

 

何よりもまず、泣くことがありませんでした。前回は、秀ちゃんの手記のシーン、丈五郎のラストのシーン、何度見ても毎回毎回泣いていたのに、今回は泣きませんでした。別に泣きに行っているわけではないので「泣けなかった」とは思わないのですが、泣くだろうと思っていた節はあるので正直驚きました。初見で見ることに必死で、のめりこめていなかった部分もあるかな。

私の心持ち以外に理由があるとすれば、全体から漂う淡々とした進行にあるのだと思います。台詞が台詞らしいというか、心が乗らない人間味の少ない話し方。

淡々と、と表現したけれど、静かなわけではないんです。むしろ大袈裟。このキャパにしては総じて大仰で芝居ががっていて(深山木を「芝居がかった言い回しだね」なんて言うけれど皆そう聞こえるなあなんて思いながら見てた)、抑揚はあるのに感情が読めなくてモヤモヤとした気持ち悪さを感じる。「樋口さん」のくだりなんかも初代の台詞がとても冷たい。この気持ち悪さが今作の色なんだと思います。濃い化粧も合わさって、そうやって江戸川乱歩の独特な世界観を表現しているような…なかなかおもしろい。

そしてそんな中、箕浦(今回は草かんむりじゃないんですね?)は人間らしくて心があって、ここの違いが面白いなあなんて思いながら見ていました。石田隼くんは初見だったのですが、この鬱々とした作品の中で"普通の人間らしさ"があってとても良かったです。

個人的に古川…じゃなかった、星乃勇太くんがとてもよかったです。もともと特徴的な声の俳優さんですが、幼さと恐ろしさみたいなものがとてもしっくりきました。

河合龍之介さんも久しぶりに見ましたが、丈五郎をまさかこういうアプローチで演じるとは思わなくてびっくりしました。前作はまさに「鬼」という感じでしたが、龍ちゃんの丈五郎は耽美で不気味で、何を考えているのか分からないところがゾッとしました。

 

前作は照明と音楽が素晴らしかったのですが、今回は個人的にここで引っかかってしまいました。今までBGMらしいBGMなんて無かったところに突然始まるジャズ調のピアノと客席に向く点滅するライト…突然雰囲気が変わって正直驚きました。

あと見ていて意外だと感じたのが、諸戸の箕浦に対する執着があまり表面に出ていない点。なんだか、最後の最後まで諸戸が普通に良い人で、箕浦に対する恋愛感情をあまり感じませんでした。前作の「君が僕を尾行?」の嬉しそうな諸戸や、

「僕から逃げないでくれたまえ、僕の話し相手になってくれたまえ、そして僕の友情だけなりとも受け入れてくれたまえ、僕が一人で想っている、せめてそれだけの自由を僕に許してくれないだろうか、ねえ蓑浦君、せめてそれだけの」

のリフレインなんかが頭に残っているもので(今回ここのリフレインがなくて、この台詞は一度だけでした)、なんだか不思議でした。

これも含めて考えると、やはり今作は「私」の追体験ではなく「私」の語る過去のように感じます。そう感じるシーンがもうひとつあるんです。初代が死んだあと

「僕は幸か不幸か失恋の悲しみは知らないが、これから先どんな悲しみがあってもそれに耐えることができるような気がするよ」

というような感じの「私」のセリフがあったのですが、今回は「~それに耐えることができると思うよ」みたいな感じに箕浦に投げかけていました。前作では悲しみと怒りの中で自分の言葉として言っていたのに、今作ではまるで他人事のような…余計に「私」が憎たらしく見えました。さとちゃんの「私」は本当に憎たらしかった(褒めてる)。あくまでこれは「私」にとっては過去の話で、だから淡々と進行するし、箕浦以外の感情が希薄とも取れるような印象を受けるんじゃないかなって。そう考えるとすごくすとんと落ちるような気がしました。

 

台詞は基本的に前作と大きく違う部分はありませんでしたが、細かな違いで意外と印象が変わりました。語尾が変わっていたり、漢字の読みが変わっていたり(六道は前作だとろくどうだったけど今作はりくどうだった)、あとは同じ台詞でも発する人が変わっている部分もありました(次は私(今回は僕)の恋の話を、とか)。

台詞の違いだと、度々「双生児」というワードが出てきました。前作はこんなにどころか一度あったかどうかもあやしいような気がします。「男と女の双生児」は「男と女の双子」(双子と言ったりかたわと言ったりしていたけれど結局どっちが正しかったんだろう)でしたし、「双生児」というワードが耳慣れなくて不思議でした。何よりどうしても「ソーセージ」に聞こえてしまって…ごめん…

 

そしてラスト。前作で公演途中から追加された「今では私たちの共有財産です」というような台詞。今作ではどうなっているんだろうと思いながら行きました。ありました。やはりこの台詞を追加したのは何か明確な意図があったんだなあ。

ラストの演出は今作もまた違ってなかなか好きでした。箕浦が諸戸と連れ立って去って行くのは諸戸が救われたようにも見えるけれど、でもよく考えると今の箕浦である「私」には拒絶されていて、諸戸と共に歩いているのは「諸戸を拒絶する前の過去の箕浦で…諸戸は死んでも過去の箕浦の面影を追い続けるのでしょうか。

 

今作のダブルカーテンコールは「私」役の佐藤永典くんだけが登場しました。前作は誰が主演で誰が座長なのかよく分からなかったんですよね。少なくとも主人公ではない諸戸役の鯨井くんの力が圧倒的だったことで、主要人物3人が不思議なバランスで立っている感覚がありました。今回は間違いなくさとちゃんが主演で、そこからしてやはり作品の作られ方が違うような感じがしました。

 

 

やっぱり、この「孤島の鬼」という作品は私にとってとても大切で意味のある作品だったんだなあと改めて感じました。なんだか比較ばかりしてしまったけれど、また新しい形でこの作品に触れることができたことが素直に嬉しいです。またこうやって、自分にとって大切だと思える作品に出会いたいなぁと思います。