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夢ならいつまでも2人きりなのに

好きなものを好きなだけ

全通おたくだった頃

このブログを始めようと思ったきっかけは、推しに手紙を書かなくなったことでした。

私は推しを推すようになってから、観劇というインプットの後には手紙というアウトプットがありました。手紙を出さなくなったあの日まで、私が現場に入って手紙を出さなかった日は1日もありませんでした。手紙を書かなくなってアウトプットする場がなくなってしまい、行き着いた先がブログでした。

 

 

 

 

私は全通おたくでした。と言っても、全通が途切れず続いたのは推しを応援していたうちのたった1年、計100公演程度でしたが。

当時の私は全通するということになんの疑問も、ましてや義務感もなく、全部行けるんだから当然全部行くでしょ?くらいのノリで現場に通っていました。私にとって全通はそれほど難しいことでも特別なことでもありませんでした。

 

推しは早い段階で私のことを覚えてくれました。当時の私は認知なんて自意識過剰の都市伝説だと思っていたので、認知されたのだと自覚した時は衝撃を受けました。あの頃推しはそこまで人気があったわけでもありませんでしたし、全通するようなおたくもほとんどいなかったので、毎公演客席にいて手紙を出していれば顔と名前の一致なんて大して難しいことではなかったのだと思います。

現場にいることが当たり前、推しが私を見つけてくれることが当たり前になり、「通わなくては」という感情は少なからず発生しました。それでも通うことは楽しかったです。すべて見れば知らないことは無いという満足感、推しが私に向けてくれるもの、手紙を読んでくれている実感。私は推しに「いつもいる人」と思って欲しいと思っていましたし、恐らくそう思ってくれていたと思います。

私は常に、推しに必要とされるファンでいたいと思って行動してきました。自分で言うのもおかしいですが、私はなかなかに真面目なおたくだったと思います。毎日毎日時間をかけて推敲を繰り返して手紙を書いていました。感想は理由や場面を明確に、相手に誤解を与えない表現を選んで、これを読んで何を思ってほしいのか、私の手紙はいつもこねくり回しすぎて理屈っぽかったと思います。そのうち、推しが私の手紙をすぐに読んでくれていることも分かりました。推しは私がマチネ前に出した手紙をマチソワ間で読んでくれるような人でした。推しとの手紙はまるで会話をしているようで、私の応援の言葉を推しが受け取って、それを形にして返してくれることが幸せでした。私にとって手紙は推しとの会話でした。

そうやってひとつひとつ積み重ねた結果…かどうかは分からないけれど、推しは私のことを本当に大切にしてくれました。今思い返しても幸せな思い出がたくさん浮かんできます。おそらく私は、とても恵まれたおたくライフを送っていたのだと思います。

 

 

 

恵まれていることに慣れすぎた私は、気付けば対応厨になっていました。

いつだって私の比較対象は他人ではなく過去の自分でした。一度上げた生活水準を下げられないように、ファンサをもらえることが当たり前になってしまった私にとって、ファンサがなくなることは嫌われることと同義でした。推しはとても優しい人だったので、人気者になってからもいつも私を探してくれました。でも、どんどん大きくなる推しはいつまで私を大切に思っていてくれるんだろう、いつまで私を必要としてくれるんだろう。ファンが増えてほしいという気持ちと、ファンが増えることで私は必要なくなるのではないかという相反する感情。私は心のどこかで推しに必要とされなくなることを恐れていました。

同時に、舞台オタクである私が自分の首を絞めていました。舞台オタクの私は、舞台を見に行っているのに推しの対応を気にしている対応厨の自分が嫌いでした。ただ推しの演技が好きだった純粋な私はどこへ行ったんだろう、私は本当に俳優としての推しを応援できているんだろうか。それでも、「今日も私を見つけて私のためにサービスしてくれた」という事実を見て安心せずにはいられませんでした。だって、推しと直接言葉を交わせる機会なんてほとんどなかったんだから。

 

 

私はもう全通おたくではありません。ここに至るまでを語るときっと推しに迷惑をかけてしまうので、心の中に留めておこうと思います。

推しのことを嫌いになったわけではありません。でも、もうあの頃のようなエネルギーがないのです。私の原動力は何だったんだろう。

恐らく推しは私が降りたと思っていると思います。久しぶりに小さな舞台で私を見つけた時、推しはびっくりしたような顔でじっとこちらを見つめていました。公演の後、私に伝えたいことがある時にいつも撮っていた写メを上げてくれて、あぁまだ私のことを必要としてくれているのかな、なんて少し嬉しくなったりもしました。でも、今なんだね。あの時フォローしてくれていたら、何か違ったかもしれないのに。

 

認知は人間関係の始まりでした。良いことも悪いこともすべてお互いの記憶の中に残ってしまう。それは幸せなことであると同時にとても恐ろしいことでした。未練がないはずがありません。できることなら推しが舞台を降りるその日までずっと客席にいたかった。でももう、どんな顔で推しに会えばいいか分からないのです。私があの日珍しくマスクをしていた理由、推しは分かっているのでしょうか。私が認知されていない名もないゆるオタだったら、今も何でもない顔をして客席に座っていられたのに。

推しは人気者になりました。現場に推しのファンが私しかいなかった、最初から最後まで私のことを見ていたあの日とはもう違います。 こんなに通ったのも、こんなに手紙を書いたのも、私を認知してくれたのも、私を「私」というファンとして大切にしてくれたのも、全部推しが初めてでした。そしてきっと最後です。

 

 

推しがいつか一人部屋をもらった時に、最初の楽屋のれんをあげるのが夢でした。

私は今も遠くから推しのことを応援しています。